■2017/12/29〜2018/1/4は冬休みで沖縄。

■gocoupのシングルは2018年に持ち越し。

■こちらもぜひ。
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■『ぶっせん』


ぶっせん(上)

■年末年始は、沖縄で『ぶっせん』というマンガを読んでいました。


■上・中・下巻の全3冊に分かれているのですが、沖縄には上巻だけしか買って行かなかったんですよ。というのも、単に「飛行機の中で読む用の本」が欲しかったのと、あと、「全3冊も買って、面白くなかったらどうしよう」という経済的リスク回避のためにです。


■しかしその心配は全力で杞憂でした。沖縄では、その『ぶっせん』上巻を、数年ぶりに“読み耽る”という言葉がぴったり来るくらいの勢いで読み耽りました。読み耽りまくりました。自分でも不思議なくらいに。


■このマンガは、ある貧乏なお寺が資金ぐりのために────まあ詳細は省きますが、ごく大雑把に云うと、禅寺で修行に励む若者たちの生活を描いた作品です。

で、もちろん、マンガとしてとても面白いです。キャラクターとか、伏線の張り方とか、読み返して初めて分かる細かいくすぐりとか、魅力は多々あります。


■でもこのマンガでいちばん惹かれてるのが、あのー、なんつーか、書くのがすごく照れるのですが、この作品の


「青春感」


なのですあー書いちゃった照れるなあもう。


■なんか、みんなで励ましあったりケンカしあったりしながら、一つのことに打ち込んで成長していくって、良いじゃないですか。ごめん、いま「良いじゃないですか」の一言で単純に片付けたからもうちょっと説明する。

年とると、あんまり素直にヒトと向き合うとか、がんばるとか、そういうことしなく/できなくなっちゃうじゃないですか。いや、年取っても本当はそういうことは実はできるのだけれども、「体力がない」「明日仕事だから」「家賃を納めなくちゃなんないから」をはじめその他808〜909個ほどの理由により、好む好まざるに関わらず10代のような青春を送ることは、しなく/できなくなる。

でも、『ぶっせん』の登場人物は、10代ということもあって、青春している。で、作中にはその青春っぷりが直球で描かれている────ように思う。

変な話ですが、思わず作中の登場人物に嫉妬しそうになるくらいに、こいつら青春してていいよなあ、って思う。もちろんそれは、おれが単に年をとったから、というだけのことかもしれないし、無条件で【“青春”イコール“いいもの”】ってわけではけっしてない。でも、いいよなあ。

この「いいよなあ」の内訳は、楽しそうだなあという素直なうらやましさ50%、こんな青春を送りたいよなあという憧れ30%、自分の青春(ってほどでもなかったが)と重ね合わせての回想15%、青春ってこっ恥ずかしいけどそこが笑える15%ぐらいです。すげえ、全部足したら100超えてるし、文章としていまいち伝わってない。


■それはともかく、昨日は羽田からいったん家に帰って(荷物が多いから)、池袋にこの『ぶっせん』の中巻と下巻を買いに行きました。

で、昨晩から今朝にかけて中巻を読み終えました。

で、下巻を今日の晩、ではなく、来週の土曜の晩にじっくり時間をかけてじっくり読みたいと思います。じっくり。


■いま、ものすごく続きが読みたいのに「読み終わりたくない」マンガです。


■おれは去年は、ぶっせんを含めて2作品しかマンガをまともに読んでおらず、マンガについて書くことに慣れてないため、作品自体の面白さについてはあまり触れられませんでしたが、おれは『ぶっせん』を読んでこんなことを考えた、ということで、ひとつ。


【付記1】
おれがこのマンガを知ったのはわりと最近のことで、そのときにはすでに大型書店などで展開されてる出版記念フェアのような陳列は終わってました。こんなのとかこんなのとかがあったらしい。

この手の陳列をまだやってる書店を知ってるよ、という方は電話ください。それにしてもポスターとかPOPとか欲しいっす。


【付記2】
『ぶっせん』は以前、数年前に講談社から単行本が出ており、昨秋に太田出版から新装版が出ました。本文にも書いたとおりこの新装版は全巻そろえたのですが、当然のごとく講談社版も欲しくなってきた件について。