■2017/12/29〜2018/1/4は冬休みで沖縄。

■gocoupのシングルは2018年に持ち越し。

■こちらもぜひ。
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■パ3(←『パディントン 消えた黄金郷の秘密』の意)


■先日、ひさびさに活動写真を見に行ってまいりました、映画とも呼ぶみたいね、最近では。

英の国の熊畜生、パディントン公が活躍する作品『パディントン 消えた黄金郷の秘密』です。シリーズ三作目に当たるので、個人的にパ3と略してます。

おれは、映画館に行くことが年に一回あるかないかで、年に二回も行ったら「今年はけっこう映画を見た年」と真顔で云っちゃえるくらいなんですね。

なのに、『パ1』と『パ2』は、つまり前々作と前作は、ちゃんと映画館で見てる。シリーズ全作を映画館で見た映画なんて、このパディントンが初めてでは?(いや、VHSでもDVDでも、シリーズ全部見た映画なんてないかもしれない。ほんとに映画というもの自体を見ないので。これまでの人生で、小西康陽の一ヶ月分くらいの映画しか見てこなかったように思う。)

珍しいことに、『パ2』にいたっては二回も映画館に行ってるんですね。同じ映画を二回も映画館で見たことなんて、後にも先にもこれだけです。

『木梨の会』で交通情報担当の人がさー、くりかえしくりかえし映画館に足を運んで同じ作品(鬼滅の刃かなんか)を60回だか70回だか見た、みたいなことを云ってたけどさ、おれには想像を絶する世界ですよ。


■パディントンが好きなんですか、と訊かれると、そうとも云い切れない。もちろん嫌いではないし、子供のころ読んだし、平成30年の渋谷のパディントン展も行ったし、図録も買ったし(ええ、もちろん買って以来いちども開いてません)、いまでも毎年師走になると『パディントンのクリスマス』を読み返すんだけど、めちゃくちゃ大好きかというと、そこまでの熱量でもない。たしなむ程度。

映画というものを見ない。パディントンも大好きってほどでもない。でも、こうやってパディントンの映画はしっかり見てる。これはなぜなんだろう。まあ、これが縁というものなのでしょう。縁としかいえないものはこの世に多々ある。縁の一言で説明がつくようなことを、がちゃがちゃ暑苦しく語ってはいけない。文字数と時間の無駄である。


■でね、肝心の映画本篇なんですけど、ちゃんと楽しめました。パ公(パディントンの意)の故郷であるペルーが舞台なんだけど、ペルーが舞台ゆえ、パ公の持つ「英国紳士性」が浮き彫りになるんだよね。そこらへんの下手なニンゲンよりも紳士なクマ。

決闘シーンで、傘を武器に構えたパ公が「ただの傘じゃないんですよ」と前置きした上で傘のメーカー名を敵にわざわざ告げるシーン、あれはかっこいい。

ただ、英国紳士性を身につけてしまった(しかも、英国のパスポートも発給された)、ということは、故郷ペルーを捨てるということでもある。それゆえ、久しぶりの故郷で仲間たちとのつかの間の再会を楽しんだあと、最後はやっぱりブラウン家の一員としてロンドンで生きることを選ぶんだよね(あー、これネタバレかも、ごめん)。そこが切ない。

これは、あれだ、「故郷をとるか、東京をとるか」みたいなあれに苛まれてる上京組の地方出身者の中には、ちょっといろいろ切実に受け取っちゃう人もいるかもしれない。おれ自身はそうでもないタイプではあるけれども。


■印象に残った点はいろいろあるけど、その一つがブラウン家のお父さんの描写ね。中年男の微妙な成長譚、みたいな要素が、映画の中で2%くらいあるのね。新しい上司(アメリカ女性)の云うことを、いったん自分なりに呑み込もうとするところとか、タランチュラを克服するところとか。哀愁ただよわせつつ、がんばっている。なんか印象に残った。


■そろそろ風呂入って寝たいのでまとめまーす。われわれ人類はみんな、なんだかんだ云って、かわいくて、タフ(死語?)で、礼儀正しくて、ちょっと間の抜けたとこもあるこのクマが好きなんだろう、たぶん。

あと、これは個人的な希望なのですが、もし『パ4』が作られるとしたら、今作とは対極的な、いわゆる「日常回」みたいなのが見たいな。いつものロンドンの街を舞台にして。

でも、あれか、それだと映画としての派手さがあんまりないから、興行収入が見込めなくなるのか…。うーむ。


■あ、あと、上映前になにげなく売店でポップコーン買ったら、想像以上の量だったので、7割ほど残してしまいました。何度も書いてすいませんが、めったに映画館に行かないので、このへんのカンが鈍いのです。残ったポップコーンは持って帰って、翌朝の朝食としました。

茗荷谷からは以上です。


■所さんが(珍しく)テレビで歌ってた。


■地球上の音楽は「所ジョージ」と「所ジョージ以外」に分けられるというのはみなさんご存知のことだとは思いますが、今回は前者の話。


■今週の火曜日、フジテレビNEXT(フジのCSチャンネル)でやってる坂崎幸之助(というのは本名ではない、ということを知ったのはわりと近年のことです)の番組に所さんが出演しました。ミュージシャンとしての所さんが生放送のテレビで見られる貴重な機会です。

といっても、うちはCSが見られる環境ではありません。ですが、FODなるネットサービスに加入すれば、このフジテレビNEXTをパーソナルなコンピューターやスマートなフォーンで見ることができるのです。

(なので坂崎の番組に所さんが出る時は、一ヶ月だけこのFODに加入することにしてます。)


■しかしねえ、最近は忙しくて。この日も帰ってきたのが遅かったので、番組の終わりのほうしか見られなかったのですが、幸いにも所さんが最後にもうちょっとだけ歌う、みたいな流れになってたのでそこだけは生で見ることができました。よかった。

ま、後日に再放送や見逃し配信もあるようなので、本篇はそれでゆっくり見たいと思います。


■でさ、この番組の直後に、『きくちから』なる番組の坂崎と所さん対談回の再放送をやってたので、こちらはしっかり見ましたよ。

この番組、本放送でも見てたんだけど、本放送ってもう八年も前なのか! 2017年て。所さんがちょっと若いんだよなー(といっても62歳ですが)。





■で、きょう渋谷県の中古レコード屋に行ったら、「本日入荷」の棚の上のとこに、所さんの'84年のLP『所沢より愛を込めて』が面出しで飾られてるではないか! しかも帯付き。買いました。

単に「本日入荷」の棚に入ってるだけなら買いませんでしたよ。このLP、すでに持ってるしね。でも面出し、ってとこに、なんか運命を感じたわけであります。「所さんの'84年のLPを面出しで飾っておこう」と思いついちゃう店員氏のいるお店っていいよね。


■そのあと別の店に行ったら、テイ・トウワの「Future Recall 3」の12インチがあったので、こちらも捕獲しておきました。そういえば持ってなかったので。


■カッペリーニあるいはカペッリーニ


■数日前のこと。バジルのパスタを食べたくなった。スーパーに買い物に行く。

で、出来合いのバジルのパスタソースと、あえて普通のスパゲティでなくカッペリーニを買ってみた。あの、そうめんみたいに細いやつ。ディ・チェコ(のことは矢野顕子の本で知った)のやつ。

0.9mm、などというシャーペンの芯みたいな細さのカッペリーニをゆでる。ゆで時間は二分、と袋に記されている。ゆであげたカッペリーニを湯切りしてバジルのパスタソースに和えるも…。なんかもそもそした食感で、失敗作のそうめんチャンプルーを食べてる気分になっただけだった。


■翌日は、カッペリーニをゆでて、冷たい水で締め、無印良品のレトルト冷や汁につけて、つけ麺風にして食べた。キュウリだの豆腐だのといった具を用意するのが面倒だったので、白ゴマを軽く振るだけだったんだけど、それでもわりとうまかった。

さらにその数日後は、カッペリーニをゆでて、冷たい水で締め、レトルトのパスタソース(アラビアータだったと思う)を温めずに室温のままカッペリーニと和えた。これだけでもわりとうまかった。たまにはカッペリーニもいいな、と思った。


■ところで、カッペリーニよりも「カペッリーニ」のほうが正確な表記だそうだ。発音しにくい…。


■半蔵商店二十周年。なにがめでたい


半蔵二十周年

■昨日はスチャダラパーのCDデビューから三十五周年でしたが、本日で半蔵商店は二十周年です、たしか。たぶんそうだったと思う。そんな気がする。まちがってたらごめん。

あ、ちゃんと「にじっしゅうねん」って発音してね。「にじゅっしゅうねん」じゃなくてね。


■しかし二十年て。この半蔵商店ができたころは、iPhoneもなかったんですよ、この世に。そんなころから、誰にも頼まれずなんか書いてる。なんでこんなブログをせっせと書き続けてるのだろう。

まあ、いつのころからかインターネットの世界も、やれフォロワーが何兆人だとか、再生回数が何京回だとか、そういった数を崇め奉るようになりました。それって、既存のマスメディアとやってることいっしょですよね。発行部数がどうしたとか、視聴率がどうした、みたいなさ。バズったもん勝ちの世界。いや、それどころか、バズらずんば人にあらず、ぐらいの勢い。

インターネットってのは、そうやって数に支配されてて良い場所ではないのではないだろうか、とおれなんかは思ってしまうのですね。これはまあ、インターネットもすっかりマスメディアになってしまった現在ではもう時代遅れの感覚なのかもしれないけど…。

もしかしたらそういう「数の世界」に抗うために、このブログをおれは細々と書いてるのかもしれない……いや、そんなご立派なことじゃないか。単に、昔のインターネットの感じが好きなだけなのかもしれないです。みんながあっちゃこっちゃで、好き勝手に細々と書いて、好き勝手に読んでた時代。インターネットがまだまだ牧歌的だった時代。グーグル以前、ブログ以前、SNS以前のあの感じ。'90年代末テクストサイト文化。

その感じを再現したくて、今日もこうやってインターネットの片隅でこそこそ何かを書き続けてるのかもしれません。当世風ではない、というのは分かってるからわざわざ云わなくてよろしい。


■えーっと、もっと書きたいことはあるけど、もう眠いし、連休も終わるし、あした仕事だし、今日はこのへんで。それじゃあバイバイ深田恭子でしたー。は?


■立夏の午餐、スチャダラ大作戦三十五周年


■今年のゴールデンウィークは、暦どおりに休んでおります。暦どおりにしか休めていない、とも云えるのですが、今日は小さな料理店に赴き、フランス料理のフルコースを食べ、新しい季節の到来を壽ぎました(一人で)。

よく晴れた立夏の東京。真っ白なテーブルクロスに初夏の光がさしこみ、テーブル上の銀器やグラスがきらきらしてるところを見ると、もうそれだけで気分があげぽよ(死語)。

魚も肉も美味しかった。泡、赤、貴腐、を一杯ずつ飲みました。よい午后でした。

帰ってきて、昼寝して、夕方起きたらアタマががんがんして、二日酔いです。いや、この場合は二日酔いとは呼ばないのか。でも、二日酔いです。酒に弱い…。


■そして今日で『スチャダラ大作戦』リリースから三十五周年だそうです。



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