■2017/12/29〜2018/1/4は冬休みで沖縄。

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■八月納涼歌舞伎 第三部 『桜の森の満開の下』 8/26


■昼、予習として、青空文庫から拾った『桜の森の満開の下』(←ATOKに“「の」の連続”と警告されました。作者の坂口安吾とかいう人はもっとネーミングに気を配るべきだと思いました)のテクストをイラレ上に貼ってPDF化。コンビニで印刷してルノアールで読んでから歌舞伎座へ向かう。

──が、この舞台は、『桜の森の〜』以外にも他の安吾作品も題材になってるようだ。それも読んでおくべきだったかもしれない。情報不足。

コクーンっぽい芝居なんだろうな、と予想はしてたけど、その予想よりもだいぶコクーンコクーンしていた。歌舞伎座にいるのに、「帰りは神南カレー改めJSカリーにでも寄るか…」と思っちゃうくらい。笑


■新作歌舞伎ということで、しちめんどくさいやつとか小難しいやつとかを想像してたけど、前述の“予習”のおかげか、観ていて極端に拒絶反応を示したくなるようなことはなかった。

とはいえ、まあまあとっ散らかった内容だし、セリフのテンポも速いので、分かろうとするのはそれなりに労力を要する。

が、以前ナイロン100℃(このブログにしては唐突な固有名詞。笑)の『世田谷カフカ』を観に行ってちんぷんかんぷんだったんだけど、ケラが当時のブログで「“分かる”ということが、そんなにも大事なことなのだろうか(大意)」みたいなことを書いてた(ような記憶がある)。

うむ。“分かろうとする”という姿勢自体、すでになんか間違ってるのかもしれない。芝居を観るのにいちいち予習なんかすんなっつーの、と、もう一人のおれもルノアールで云っていた(ような記憶がある)。

お芝居なんて、観ている時間だけが楽しければそれでいいのではないか。「分かろう」という欲求のほうが眼前の芝居をただただ鑑賞することよりも先に来てはいないか。なぜわざわざ頭蓋骨の中で「自分が呑み込みやすいような形」に再構成・再加工してまで分かろうと分かろうとするのか。それはある種の意地汚さではないか──と、うちの近所の拓殖大学構内を散歩しているペンギンが話していた(ような記憶がある)。

とはいえ、おれもわざわざ原作をプリントしてまで“予習”しちゃってるんだよな。分かろうとしてるよな。


■芝のぶと猿弥(50)が良かったです。猿弥(50)のセリフはすごい早口でちょっと聞きづらかったけど。笑

あと、幻想的なラストシーンも良かった。BGMが無音になって(いや、あれは下座が「無音」を奏でているのか)視覚だけになるところとかさ。最後、七之助の死体が花びらの中に消えるんだよね。


■ところで、耳男で思い出したけど、耳夫、って、むかし電気グループにいたよね(最初期の電気グループは六人だったんだよね、たしか)(で、一回目の打ち合わせに顔出しただけのメンバーとかいるんだよね、たしか)。