■じゃっ夏至なんで |
■今日は夏至なんですよね。毎年書いてることですが、夏至を過ぎると今年も終わりだなって気分になりますね。これからは日に日に陽が短くなってくと考えるとさー、もうさー、退行というか衰退というか、そんな、ピークを過ぎた感じがして。しょぼい、とは云わないまでも、なんか物哀しい。
ピークだけが全てなのかというと、もちろんそんなことはないんだけどな。なにごとも。
■あ、ほら、村上春樹の短篇(って、なんで金払ってまでこんなもの読まなきゃいけないんだろう、ってぐらいに後味が悪いのが少なからずあるんだけど)に、35歳になって「自分はもう人生の折り返し地点を過ぎた」と考えて、生活習慣を改めようとする男の話があったと記憶してるけど、それなのね。この「折り返し地点を過ぎた」感。それが夏至の夜にはある。
■いや、変な話、いまうれしいんですよ。いまの季節が。朝は五時から明るいし、夜も七時くらいまでならまあ、ちょっと明るい。そこがいい。なんでいいと思っちゃうんだろうな。一日が長く使える、という錯覚なのかな。一日は24時間、ってのは年中変わらないはずなのにね。
でも、まあ、これから日に日に一日が短くなってくんだなー、と考えると寂しい。毎年毎年毎年毎年同じこと書いてますけど。
■おととし八月にアイスランドというところに行ったとき、なにぶん緯度の高いところにある国なので、二十二時を過ぎても空が明るかった。一日が長く使えてお得だなと思ったけど、冬は逆になかなか陽が出なくてしんどいだろうなとも思う。
そこへ行くと、この正月に行ったバリは、年がら年じゅう夏で、日照時間が長くてうらやましい。まったく、日本国もバリを見習ってさっさと南緯8度ぐらいのところに引っ越してほしい。
──どうやって。(゚д゚; ) (゚д゚; ) (゚д゚; )
■そういえば去年の夏至は、茨城県内の骨董屋でコシミハルのCDをたくさん買った。なんで骨董屋でコシミハルのCDを売ってるんだ、などと訊かれても困る。ほんとうに骨董屋でコシミハルのCDを売ってたんだから仕方ない。
ちなみに今年の夏至は、茨城の骨董屋でなく渋谷のすき家にいまして、「なすアラビアータ牛丼」という謎の料理を食べてました。
■あ、画像は、先週の中村隼人に続き、『水曜日のダウンタウン』を見ながらなぜかエンライトメント風に加工した獅童です。本文とは関係ありません。