■歌舞伎座 十二月大歌舞伎 忠臣蔵 昼の部 12/14 |
■十二月十四日の土曜日の朝、日比谷の帝國ホテルに赴き、茶を喫し、ホテルのロビーで自動車を拾い、歌舞伎座へ向かい、桟敷席で芝居を見てきました。我ながら休日の過ごし方が昭和初期の東京市民っぽいです。なにやってんだ。
新暦旧暦の違いがあるとは云え、十二月十四日、という日に忠臣蔵を見ることができました(昼の部だけだから、討ち入りのシーンはないけどね)。
■半蔵が歌舞伎座の桟敷席に座るのは'10年4月の『助六』以来じつに3年8ヶ月ぶり、と各メディアで報道されておりますように、ほんとに久しぶりのことで、そもそも新しくなった(というか、諸般の事情で新しくならざるを得なかった)歌舞伎座の桟敷席は初めてです。
カブキ知らずの小坊主が桟敷席とは生意気だ、などと欧米主要紙に書かれたりしたわけですが、どこに座ろうとおれの勝手ですし、だいたいチケット取りづらかったのよー今月歌舞伎座。取りづらかったよね? おれだって無駄に贅沢したいわけじゃないけど、でも桟敷席の切符しか戻ってなかったのです。
ちなみに、来月は歌舞伎座・演舞場・浅草すべて三階席です。こういう控えめさを忘れないところが、拙僧が皆様に愛される秘訣ですね。(談)
▲[左]桟敷席のお茶セット。湯飲みの裏に歌舞伎座の紋入り。もうもみ出し茶じゃないんだなー
[右]桟敷席からの眺め。花道ばっちり
■久しぶりの桟敷席(ちなみに西でした)からは、あたりまえですが三階席とは芝居が違って見えました。それは物理的にはもちろん、内容的にもです。先月とはまた違う発見がいろいろあった(と思っている)。
お財布の都合があるとは云え、毎度毎度三階席ってのも、それはそれでちょっと偏った見方になっちゃうからね、たまには桟敷席に座ってバランスをとるぐらいがちょうど良いかもしれない。
勘平とおかるの道行では、なぜか鷺坂伴内の気分になって舞台を見ていました。この気分も先月の三階席ではなかったな。
あと菊之助はやはり食パンマンと同一人物だと思う。
■ちなみにこの日の食事は、席まで運んでくれるお高い弁当は発注せず、売店で売ってる千円の牛ヒレカツサンドにしました(肉に噛みごたえがあるので、見た目より満足度が高い)。正直、今月は南座行きでお金つかったからね、ここらへんでセーブしました。こういう控えめさを忘れないところが以下同文。
新暦旧暦の違いがあるとは云え、十二月十四日、という日に忠臣蔵を見ることができました(昼の部だけだから、討ち入りのシーンはないけどね)。
■半蔵が歌舞伎座の桟敷席に座るのは'10年4月の『助六』以来じつに3年8ヶ月ぶり、と各メディアで報道されておりますように、ほんとに久しぶりのことで、そもそも新しくなった(というか、諸般の事情で新しくならざるを得なかった)歌舞伎座の桟敷席は初めてです。
カブキ知らずの小坊主が桟敷席とは生意気だ、などと欧米主要紙に書かれたりしたわけですが、どこに座ろうとおれの勝手ですし、だいたいチケット取りづらかったのよー今月歌舞伎座。取りづらかったよね? おれだって無駄に贅沢したいわけじゃないけど、でも桟敷席の切符しか戻ってなかったのです。
ちなみに、来月は歌舞伎座・演舞場・浅草すべて三階席です。こういう控えめさを忘れないところが、拙僧が皆様に愛される秘訣ですね。(談)
▲[左]桟敷席のお茶セット。湯飲みの裏に歌舞伎座の紋入り。もうもみ出し茶じゃないんだなー
[右]桟敷席からの眺め。花道ばっちり
■久しぶりの桟敷席(ちなみに西でした)からは、あたりまえですが三階席とは芝居が違って見えました。それは物理的にはもちろん、内容的にもです。先月とはまた違う発見がいろいろあった(と思っている)。
お財布の都合があるとは云え、毎度毎度三階席ってのも、それはそれでちょっと偏った見方になっちゃうからね、たまには桟敷席に座ってバランスをとるぐらいがちょうど良いかもしれない。
勘平とおかるの道行では、なぜか鷺坂伴内の気分になって舞台を見ていました。この気分も先月の三階席ではなかったな。
あと菊之助はやはり食パンマンと同一人物だと思う。
■ちなみにこの日の食事は、席まで運んでくれるお高い弁当は発注せず、売店で売ってる千円の牛ヒレカツサンドにしました(肉に噛みごたえがあるので、見た目より満足度が高い)。正直、今月は南座行きでお金つかったからね、ここらへんでセーブしました。こういう控えめさを忘れないところが以下同文。