■誰だって、ウォーホルに興味がある時期があるではないか |
▲アメリカン・ポップ・アート展の半券
■パンナム展の翌日、六本木にある国立新美術館だか新国立美術館だかいう“新”の付けどころに迷う美術館で、アメリカン・ポップ・アート展を見てきました。その名の通り、アメリカンのポップなアートをあれする展覧会です。
実は八月の末にも行ったんですが、ウォーホルの作品をまとめて見る機会もそうそうないので、再び足を運んだわけです。当日の午前中は、東京都の来年の出生率がちょっと上がるんじゃないか、と予想されるくらいのものすごい豪雨で、午後になっても弱からぬ雨が降っていたのですが、会場にはたくさんの人類が詰めかけていました。
■ウォーホル以外の外人の絵はそこそこに、たっぷりウォーホルを見てやってきましたよ。花、モンロー、ジャッキー、キャンベル、電気椅子、毛沢東、とか有名どころをはじめ、その他の小品いろいろ。
うん、中学2年の夏にウォーホルを知って以来、これだけたくさんの作品を見るのは初めてです(以前、福岡市の大濠公園の美術館で、常設展示の「エルヴィス」を見たことはあるんだけどね)。
■美術館で実際にキャンベルやマリリンや毛沢東を見ると、画集で見た時と違って、「大量生産で複製されたイメージが、その場を実際に支配する感じ」があるのね。なんというか、「大量生産された感じ」「複製された感じ」「同じイメージが反復する感じ」という抽象的な“感じ”が物理的に実在してるように思えてしまうというか……。
いや、だから、「ここにあなたがいないのが淋しいのじゃなくて、ここにあなたがいないと思うことが淋しい。ウォウウォウ」みたいな話になるけど、「反復する同じイメージ」の存在じゃなくて、「イメージが反復してること」に、なんか迫ってくるものを感じるわけですよ。うまく云えなくてすいません。うまく云う必要もないけどね。
で、もちろん作品一点一点も、画集で見るよりだいぶ大きいので(当たり前か)、迫ってくるものが画集よりだいぶ大きく感じられるのです。
■あと、「ブリロ」の洗剤の箱の作品も見ることができて良かった。立体のものは立体で見ておきたいからね。
■それと、美術館の売店でキャンベルのスープ缶の実物を売っていたのが面白かった。商魂たくましい、というだけでなく、「ではウォーホルの作品と実物のスープ缶を買うのとでは何が違うのか」とか、そういうことを考えたくなる点も。