■平成二十五年六月前半のカブキ状況 |
■六月二日(日)
国立劇場に赴く。歌舞伎鑑賞教室初日。前半『歌舞伎のみかた』MCは、隼人と虎之助。平成5年生まれの隼人より、平成10年生まれの虎之助の方が落ち着いてるように見えた笑。
『歌舞伎のみかた』の構成は、毎回思うんだけど、云いたいことややりたいことが多すぎて、消化不良というか首都高3号渋谷線上り2キロ渋滞ですみたいなことになってる。はじめてカブキを見る人にとって、かゆいところに手が届いてない解説になってるのではないか、と要らぬ心配をしてしまう。
でもまあ、カブキの見方やら歴史やらをわずか30分にまとめて説明するって大変だよねえ。
後半は本篇『紅葉狩』。この季節に紅葉狩。そういえば昨年五月の演舞場も紅葉狩であった。
■六月四日(火)
一幕見席にて、第三部『鈴ヶ森』『助六』。
『鈴ヶ森』では、雲助の一人(片足を斬られる)がジャンプするところでちょっと失敗していた。笑
鈴ヶ森の音楽の、CDJの頭出しのように三味線の音が一音だけ執拗に繰り返される部分(幸四郎が出てくるところの前後、だったと思う)がミニマルで面白い。時間を引き延ばすような効果がある。
そして'10年4月さよなら公演以来の『助六』は、ねえ、もう別格ですね。芝居見物以上の何かを感じる。もう、見てるだけでうれしい。
芝居を見ながら、さよなら公演の團十郎や勘三郎を思い出す。
鈴ヶ森は立ち見で、助六は二列目の席に座って見(ら)れました。
■六月八日(土)
二階席最前列センターの切符が手に入った。日頃の行いがいいとしか思えない。第一部『鞘當』『喜撰』『俊寛』。
『鞘當』は、うーん、地味ですね。
『喜撰』の三津五郎の踊りは軽やかで愛嬌があり、かつ妖しい(もっと云うとエロい)部分もあって、見てて楽しい。踊りのくわしいことなんか分かんないけどね。
そして、左遷されたサラリーマンの悲哀(←ちょっと違うかもしれない)を描いた『俊寛』は、この四月に不本意な人事異動という厄災に見舞われた身としては、胸に沁みますね。(´;ω;`)
そういえば『喜撰』で、タカノスケを久しぶりに見た気がする。タカノスケは、おれが生まれて初めて歌舞伎を見た日、富十郎と舞台に出ていた('10年3月歌舞伎座『石橋』)ので覚えてる。
■六月九日(日)
第三部『鈴ヶ森』『助六』。一幕見席ではなく二階席。
『鈴ヶ森』は、梅玉と幸四郎の食い合わせが良くない、と思った。
ニンニクと塩と鷹の爪とオリーブオイルだけのシンプルなペペロンチーノを食べている時、唐突に魚介類の具がゴロゴロ入ったトマトソースをぶっかけられた感じに近い。
そのソースはそのソースで美味しいんだろうけど、なにもペペロンチーノを食べてる最中にぶっかけてくることないでしょう、という。なんでパスタで例えてるのか自分でも分からんけど。
六月四日の雲助が、同じところでまたも失敗していた。がんばれ。
『助六』。この芝居はおれにとって、芝居というより、江戸時代へのタイムトラベルであり、現実とは違うカブキの中の世界へ連れてってくれる装置であり、(以下2万字略)
助六を見てる時の楽しさを、コトバごときで説明しようと思わないし、説明できるとも思わない。
■六月十二日(水)
七月花形歌舞伎の松竹歌舞伎会員向けの売り出し日が昨日(6/11)であったことを忘れていた。
松竹のサイトを見てももう遅い、土日の三等席の切符はすべて売り切れていた。
だいたいおれは松竹歌舞伎会に入会しているという自覚(?)に欠ける。クレジットカードは毎日持ち歩いてるんですけど。
■六月十五日(土)
三階席で第一部。
『鞘當』は、うーん、やっぱり地味。
編笠で顔を隠したまま登場して、セリフだけのやりとりで観客をじらしにじらして、互いの編笠を取るところでピーク…………が来ない。
テクノのDJで例えると、ブレイクに入って、いったんボーカルだけになって、そこにハイハットが入って、二拍四拍にクラップが入って、しだいにシンセのリフとか重ねて盛り上げていって、スネアロールがフェイドインしてきて、キックを8分→16分→32分で連打して、煽りに煽ってクラッシュ鳴らして1小節ぶんミュート入れて、さあ曲が再開、ってタイミングでレコードが針飛び、みたいな感じでした(ここまで字数を費やして説明しなくてもいいよな…)。
あと、勘九郎がまだまだ橋之助に相手してもらってるって感じだったので、二人の男がぶつかり合う気迫が希薄だったニャー、と近所に住む太った猫がつまらない洒落を云っていた。
『喜撰』『俊寛』は、ともにこの日も見応えありました。
めでたい焼きを久しぶりに食べる。
国立劇場に赴く。歌舞伎鑑賞教室初日。前半『歌舞伎のみかた』MCは、隼人と虎之助。平成5年生まれの隼人より、平成10年生まれの虎之助の方が落ち着いてるように見えた笑。
『歌舞伎のみかた』の構成は、毎回思うんだけど、云いたいことややりたいことが多すぎて、消化不良というか首都高3号渋谷線上り2キロ渋滞ですみたいなことになってる。はじめてカブキを見る人にとって、かゆいところに手が届いてない解説になってるのではないか、と要らぬ心配をしてしまう。
でもまあ、カブキの見方やら歴史やらをわずか30分にまとめて説明するって大変だよねえ。
後半は本篇『紅葉狩』。この季節に紅葉狩。そういえば昨年五月の演舞場も紅葉狩であった。
■六月四日(火)
一幕見席にて、第三部『鈴ヶ森』『助六』。
『鈴ヶ森』では、雲助の一人(片足を斬られる)がジャンプするところでちょっと失敗していた。笑
鈴ヶ森の音楽の、CDJの頭出しのように三味線の音が一音だけ執拗に繰り返される部分(幸四郎が出てくるところの前後、だったと思う)がミニマルで面白い。時間を引き延ばすような効果がある。
そして'10年4月さよなら公演以来の『助六』は、ねえ、もう別格ですね。芝居見物以上の何かを感じる。もう、見てるだけでうれしい。
芝居を見ながら、さよなら公演の團十郎や勘三郎を思い出す。
鈴ヶ森は立ち見で、助六は二列目の席に座って見(ら)れました。
■六月八日(土)
二階席最前列センターの切符が手に入った。日頃の行いがいいとしか思えない。第一部『鞘當』『喜撰』『俊寛』。
『鞘當』は、うーん、地味ですね。
『喜撰』の三津五郎の踊りは軽やかで愛嬌があり、かつ妖しい(もっと云うとエロい)部分もあって、見てて楽しい。踊りのくわしいことなんか分かんないけどね。
そして、左遷されたサラリーマンの悲哀(←ちょっと違うかもしれない)を描いた『俊寛』は、この四月に不本意な人事異動という厄災に見舞われた身としては、胸に沁みますね。(´;ω;`)
そういえば『喜撰』で、タカノスケを久しぶりに見た気がする。タカノスケは、おれが生まれて初めて歌舞伎を見た日、富十郎と舞台に出ていた('10年3月歌舞伎座『石橋』)ので覚えてる。
■六月九日(日)
第三部『鈴ヶ森』『助六』。一幕見席ではなく二階席。
『鈴ヶ森』は、梅玉と幸四郎の食い合わせが良くない、と思った。
ニンニクと塩と鷹の爪とオリーブオイルだけのシンプルなペペロンチーノを食べている時、唐突に魚介類の具がゴロゴロ入ったトマトソースをぶっかけられた感じに近い。
そのソースはそのソースで美味しいんだろうけど、なにもペペロンチーノを食べてる最中にぶっかけてくることないでしょう、という。なんでパスタで例えてるのか自分でも分からんけど。
六月四日の雲助が、同じところでまたも失敗していた。がんばれ。
『助六』。この芝居はおれにとって、芝居というより、江戸時代へのタイムトラベルであり、現実とは違うカブキの中の世界へ連れてってくれる装置であり、(以下2万字略)
助六を見てる時の楽しさを、コトバごときで説明しようと思わないし、説明できるとも思わない。
■六月十二日(水)
七月花形歌舞伎の松竹歌舞伎会員向けの売り出し日が昨日(6/11)であったことを忘れていた。
松竹のサイトを見てももう遅い、土日の三等席の切符はすべて売り切れていた。
だいたいおれは松竹歌舞伎会に入会しているという自覚(?)に欠ける。クレジットカードは毎日持ち歩いてるんですけど。
■六月十五日(土)
三階席で第一部。
『鞘當』は、うーん、やっぱり地味。
編笠で顔を隠したまま登場して、セリフだけのやりとりで観客をじらしにじらして、互いの編笠を取るところでピーク…………が来ない。
テクノのDJで例えると、ブレイクに入って、いったんボーカルだけになって、そこにハイハットが入って、二拍四拍にクラップが入って、しだいにシンセのリフとか重ねて盛り上げていって、スネアロールがフェイドインしてきて、キックを8分→16分→32分で連打して、煽りに煽ってクラッシュ鳴らして1小節ぶんミュート入れて、さあ曲が再開、ってタイミングでレコードが針飛び、みたいな感じでした(ここまで字数を費やして説明しなくてもいいよな…)。
あと、勘九郎がまだまだ橋之助に相手してもらってるって感じだったので、二人の男がぶつかり合う気迫が希薄だったニャー、と近所に住む太った猫がつまらない洒落を云っていた。
『喜撰』『俊寛』は、ともにこの日も見応えありました。
めでたい焼きを久しぶりに食べる。