■2017/12/29〜2018/1/4は冬休みで沖縄。

■gocoupのシングルは2018年に持ち越し。

■こちらもぜひ。
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■国立劇場 三月歌舞伎公演 『一谷嫩軍記』 3/4


■しかし、国立劇場へ足を運ぶ際の「わくわく感の乏しさ」は特筆に値する。

永田町の駅の4番出口を出て坂を下っていくときの、あのドヨーンとした感じは何なんだろう。

あのドヨーンは、観劇に行くというよりは、「めんどくさい用事のために役所に行く」時の感覚に近い。あるいは、「『まず歯医者に怒られる』ありきで、長らくサボってた歯医者に半年ぶりに出かける」時の感覚というか。

まあ、「物見遊山」ではなく、「カブキのお勉強をしに行く」、とでも頭を切り替えて考えればいいのかもしれないけど、劇場へ行くときの気分の昂揚を含めて芝居である、とも云える訳で。


■歌舞伎座や新橋演舞場は、近所にお銀座が控えている。国立劇場の近所にあるのは最高裁判所くらいのものである。さすがに銀座と最高裁を較べるのは酷だろうが、この差はでかい。観劇の気分に影響しているのはまあ確かだろう。

そしてご存知の通り、国立劇場周辺で観劇のお供にふさわしい飲食物を入手するのは困難であるし、国立劇場内でも宇宙食レベルのサンドイッチしか販売していない(食堂もあるにはあるが、積極的に利用したくなるとはちょっと云えない)。この食料供給事情も、このドヨーンに一役買ってしまっているように思える。


■国立劇場の観劇をもっと華のあるものにすればどうすればいいか。客もみずからの気分を高める工夫を怠るべきではないが、劇場側ももうちょっと何かしら考えてもらえないだろうか。


■さて、肝心の舞台はというと。何十年ぶり、という芝居を役者が扱いあぐねているということもあるだろうが、ところどころに妙な空白や隙間を感じさせられた。どうも、芝居が国立劇場の舞台のスケールに合ってないのである。

いま、スケール、と云ったがこれは物理的な空間だけの話ではなく、劇場の「雰囲気」とか「風情」とか「空気」とか、そういうものも含んでのことである。何かから逃げてるような説明となって申し訳ないが、あんたが何と云おうと劇場固有の「雰囲気」やら「風情」やら「空気」は確実に存在して、それにも大きさや濃度や強度のような物が(数値化できないとはいえ)あるのである。あるといったらあるのである。

この芝居は、国立劇場のスケールに合わせることに上手く行ってなかった。いや、芝居のみならず、個々の役者の演技にも似たような傾向が感じられた。役者と役者の間、舞台と客席の間の、距離を測りかねているようなところがある。もっとひらたく云うと、演技を“国立劇場用”にカスタマイズできていない。これは先々月の『三人吉三』にも云えることだ。

演技を国立劇場用にカスタマイズすることに意識的であったのは、おれが見る限り、彌十郎だけであったニャー。



──というようなことを、近所に住む太った猫が云ってました。おれも、だいたい似たような感想です。