■『元禄忠臣蔵』 国立劇場 十二月歌舞伎公演 12/3 初日 |
■んんんん…。
例によって見当外れのこと書いてたら、すいませんなのですけど。
■なんか、生身の役者の存在や演技や声、舞台の空気、といったものよりも、脚本の筋書きとかストーリーの運びといった抽象的なものが優先されてるというか。舞台上の役者が、単に脚本やストーリーを説明するための道具に見えてしまうというか。そういうふうに感じる時間が、けっして短くなかったです。
単に脚本やストーリーを味わうだけだったら、本読むよ。何のための芝居だよ。なんてさえ思っちゃいました。
綱豊と助右衛門のやりとりとか、ちゃんと引き込まれて見ることができた部分もあったけど、そういう部分がもっとあっていいのでは。
■初日ということもあり、吉右衛門の台詞がうまく入ってないところがあって、DJがつなぎに失敗してテンポのずれたままの音がフロアに流れちゃうような空気になったりしましたが、正直、このごろはもうこれ「通常運転」って感じですねえ…。
■ちなみに「眞山青果」「吉右衛門」「国立劇場」の組み合わせと云えば昨年十月の『将軍江戸を去る』でありまして、これは拙僧が唯一、見物の途中で退出してしまった歌舞伎です。良いと思わなかった。
相性悪いのかな−、どうも。
まあ、おれの理解力の方にも問題はあると思うからさ、時間があえばもう一度見るなどして、もうちょっとこの作品を理解する努力をしてみたい。
でも、これで、「新歌舞伎は苦手」っていう感覚が補強されちゃったかも…。
■あと、パンフレットに載ってる澤村宗之助の写真が、おばさんっぽい、というか、友達のお母さんっぽい。こんな感じのヒトいるよね? 友達のお母さんに。
例によって見当外れのこと書いてたら、すいませんなのですけど。
■なんか、生身の役者の存在や演技や声、舞台の空気、といったものよりも、脚本の筋書きとかストーリーの運びといった抽象的なものが優先されてるというか。舞台上の役者が、単に脚本やストーリーを説明するための道具に見えてしまうというか。そういうふうに感じる時間が、けっして短くなかったです。
単に脚本やストーリーを味わうだけだったら、本読むよ。何のための芝居だよ。なんてさえ思っちゃいました。
綱豊と助右衛門のやりとりとか、ちゃんと引き込まれて見ることができた部分もあったけど、そういう部分がもっとあっていいのでは。
■初日ということもあり、吉右衛門の台詞がうまく入ってないところがあって、DJがつなぎに失敗してテンポのずれたままの音がフロアに流れちゃうような空気になったりしましたが、正直、このごろはもうこれ「通常運転」って感じですねえ…。
■ちなみに「眞山青果」「吉右衛門」「国立劇場」の組み合わせと云えば昨年十月の『将軍江戸を去る』でありまして、これは拙僧が唯一、見物の途中で退出してしまった歌舞伎です。良いと思わなかった。
相性悪いのかな−、どうも。
まあ、おれの理解力の方にも問題はあると思うからさ、時間があえばもう一度見るなどして、もうちょっとこの作品を理解する努力をしてみたい。
でも、これで、「新歌舞伎は苦手」っていう感覚が補強されちゃったかも…。
■あと、パンフレットに載ってる澤村宗之助の写真が、おばさんっぽい、というか、友達のお母さんっぽい。こんな感じのヒトいるよね? 友達のお母さんに。