■読書の秋。 |
■高校生のころモスバーガーで耳にした、とある女子高生の発言。
「○○ちゃんてさー、ペプシマンに似てるよねー」( ´・∀・)
■というとっても面白い導入部とはまったく関係ないんですが、もうすっかり春です。
春といえば、読書の秋だよね(←増谷キートンふう)。
ということで今日は、小西康陽の新刊『ぼくは散歩と雑学が大好きだった』を読みに、わざわざ神保町の「さぼうる」等に行って来ます。
なぜかというと、おれは、本はどこで読んでも同じ、とはあんまり思わないタイプの人間なので、この本はどこで読んだ方が感じが出るかなーと、自分なりに50ナノ秒ほど熟考した結果です。
だって、部屋でベッドに寝っ転がって、金玉袋を軽くもみながら読むにはもったいないでしょう、この本は。
このロケーションにはいろいろご意見があると思いますが、おれの稼ぎで本を買って、おれの稼ぎで地下鉄で移動して、おれの稼ぎで喫茶店に入るわけだから、そこはご理解いただきたい。
■読書って、その本を読んでる季節、時間帯、天候、気温、湿度、場所…エトセトラ、もひっくるめて読書体験になったりするわけじゃないですか(実用書などを別とすると)。
だから、好きな本/面白そうな本は、できるだけ環境やタイミングを整えて読みたい。んですよ。いけませんか。
■話はちょっと逸れますが、本ごとに「なんか、個人的にしっくりくる時間帯」というのがあります。
たとえば、自分は鴨沢祐仁のマンガは金曜の夜中に読みたいし、ますむらひろしは土曜の昼。
「'90年代に出版された'80年代のコンピュータに関する本」は、土曜の深夜に、ドリトスを食べながら読みたい。
それから、秋が深まる頃は海外広告に関する本が読みたくなる。とか、他にもいろいろありますが、まあ、そんな感じです。
(ちなみに、村上春樹がしっくりくる曜日についてはこちらを。)
■というわけで、これから出かけます。が、雨が降ったら、家に帰って「雨の土曜日に読む用」にキープしている本を読む予定です。
■ちなみに、小西康陽の前著『これは恋ではない』は、日曜日の午前中か夜に読むのがしっくりくる、ということになってます。
「○○ちゃんてさー、ペプシマンに似てるよねー」( ´・∀・)
■というとっても面白い導入部とはまったく関係ないんですが、もうすっかり春です。
春といえば、読書の秋だよね(←増谷キートンふう)。
ということで今日は、小西康陽の新刊『ぼくは散歩と雑学が大好きだった』を読みに、わざわざ神保町の「さぼうる」等に行って来ます。
なぜかというと、おれは、本はどこで読んでも同じ、とはあんまり思わないタイプの人間なので、この本はどこで読んだ方が感じが出るかなーと、自分なりに50ナノ秒ほど熟考した結果です。
だって、部屋でベッドに寝っ転がって、金玉袋を軽くもみながら読むにはもったいないでしょう、この本は。
このロケーションにはいろいろご意見があると思いますが、おれの稼ぎで本を買って、おれの稼ぎで地下鉄で移動して、おれの稼ぎで喫茶店に入るわけだから、そこはご理解いただきたい。
■読書って、その本を読んでる季節、時間帯、天候、気温、湿度、場所…エトセトラ、もひっくるめて読書体験になったりするわけじゃないですか(実用書などを別とすると)。
だから、好きな本/面白そうな本は、できるだけ環境やタイミングを整えて読みたい。んですよ。いけませんか。
■話はちょっと逸れますが、本ごとに「なんか、個人的にしっくりくる時間帯」というのがあります。
たとえば、自分は鴨沢祐仁のマンガは金曜の夜中に読みたいし、ますむらひろしは土曜の昼。
「'90年代に出版された'80年代のコンピュータに関する本」は、土曜の深夜に、ドリトスを食べながら読みたい。
それから、秋が深まる頃は海外広告に関する本が読みたくなる。とか、他にもいろいろありますが、まあ、そんな感じです。
(ちなみに、村上春樹がしっくりくる曜日についてはこちらを。)
■というわけで、これから出かけます。が、雨が降ったら、家に帰って「雨の土曜日に読む用」にキープしている本を読む予定です。
■ちなみに、小西康陽の前著『これは恋ではない』は、日曜日の午前中か夜に読むのがしっくりくる、ということになってます。