■ぼくは小西と康陽が好きだった。 |
▲小西康陽の新刊『ぼくは散歩と雑学が好きだった。』
■小西康陽の文章は、昭和四十年代の匂いがする。
いま「はぁ? 別にそう思わないけど?」とか云ったやつは、WORLD 1-2の出だしのクリボーに噛まれろ。
■しかし、具体的にどう昭和四十年代っぽいのか、と訊かれると、たしかに即答できない。
が、気の利いた、趣味の良い、昭和四十年代の雑誌に載ってそうなコラムのような文章を、小西康陽は書くな〜、と思う。
■拙僧はもちろん、昭和四十年代をリアルに通過したわけではないのであれですが、たとえば、正方形に近い変な判型の團伊玖磨『パイプのけむり』の単行本とか、サントリーのウイスキーとか、黒い革のソファーとカットグラスの灰皿と木製フレームのテレビが揃った応接間とか、雨の夜の銀座とか、そういう昭和の雰囲気。それが小西康陽氏の文章には残ってると思うんですよね。(談)
■すげえな、上の三つの段落とも、ほとんど同じことしか云ってない。すいません。
■ま、要するに、小西康陽の新刊『ぼくは散歩と雑学が好きだった。』を買いました、ということです。まだ読んでない。この週末にゆっくり読む予定です。
■と、思ったら、この本を会社のロッカーに置いてきてしまってたことに気づいた。どうしてくれよう。
あと、おれの上記の小西文体観は、あくまでこの本を読む以前のものなので、この本を読んだら、またいろいろ感じ方が変わるのかもしれません(し、変わらないかもしれません)。